大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

宇都宮地方裁判所 昭和35年(レ)19号 判決 1961年5月10日

控訴人 島田勇

被控訴人 植木清治

主文

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人に対し栃木県塩谷郡氏家町大字氏家二三六三番の一の土地二九九坪のうち、別紙第一図面(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)(チ)(イ)の各点を順次直線で連絡した範囲の土地一六〇坪一合を、右地上に植栽してある別紙第二図面記載の植物を収去して明渡さねばならない。

訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

この判決は控訴人において三〇、〇〇〇円の担保を供するときは第二項に限り仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は、主文第一項乃至第三項同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は次のとおりである。

控訴代理人は請求の原因として、

第一(一) 控訴人は昭和一九年三月二日訴外桜井芳雄から栃水県塩谷郡氏家町大字氏家二、三六三番の一宅地二九九坪をほかの土地三筆建物二棟とともに買受け、同日所有権移転登記手続を了しその所有権を取得した。

(二)(イ) 右土地は以前から宅地で、被控訴人は昭和七年頃芳雄未成年の為法定代理人訴外桜井選から、右土地二九九坪のうち別紙第一図面(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)(チ)(イ)の各点を順次直線で連絡した範囲の土地一六〇坪一合(以下本件土地と称する)を、期間の定めなく、地代坪当り年六円二銭、支払期日毎年々末の約で賃借してこれを占有し、右地上に生花等を植栽して使用していたが、昭和一八年一二月中桜井選は被控訴人が一年分の地代を延滞したため、被控訴人に対しその支払方を催告したが支払わないので右賃貸借契約を解除した。のみならず、被控訴人においても合意解約を認め、本件土地を明渡すべきことを承認した。よつて同月限り被控訴人は本件土地を適法に占有する権限を失つた。

(ロ) 仮りに右主張が認められないとしても、被控訴人と桜井芳雄との右賃貸借については登記がなく、その他本件土地の所有権を承継取得した控訴人に対抗する何等の権利も有しないので、昭和一九年三月二日以降被控訴人は本件土地を適法に占有する権限がない。

(三) 然るに被控訴人は本件土地を不法に占有して明渡に応じないので、控訴人は本件土地の所有権にもとづいて被控訴人に対し本件土地に植栽してある別紙第二図面記載の植物を収去して本件土地を明渡すことを求める。

第二(一) 仮りに被控訴人と桜井芳雄との右賃貸借が法律上当然控訴人に承継されるとしても、控訴人は本件土地の所有権取得以来再三被控訴人に対して自から又は人を介してその地代を請求したが、被控訴人は本件土地に所有権ありと称し地代支払の義務なしとして全然地代の支払をしないので、控訴人は被控訴人に対し昭和三四年一月一九日附書面により昭和二〇年九月一日以降昭和三三年一二月三一日迄の滞納地代合計八三、四三二円(昭和二〇年以降昭和二四年迄は隣地のそれと比較して算出した適正地代、昭和二五年以降は本件土地は地代家賃統制令の適用がないので右統制令にもとづく統制地代に準拠した適正地代、内訳は別紙一覧表記載の通り)を書面到着の翌日かち七日内に支払うよう、若しその支払をしないときは被控訴人との前記賃貸借契約を解除する旨の催告及び条件付解除通知をなし、右書面は同日被控訴人方に到達した。然るに被控訴人は控訴人の催告に応ぜず期間を徒過したので、右催告期間満了により賃貸借は解除となつたから、控訴人は同年二月一三日附書面をもつて右賃貸借契約が解除となつた旨の通知をすると共に本件土地の明渡を求めたが被控訴人はこれに応じない。

(二) 被控訴人は控訴人が本件土地を所有していることを知つているにも拘らず、控訴人に対し桜井芳雄との賃貸借が存続することを主張し、或は前項の如く自己に所有権ありと主張し、控訴人が所有権を取得した昭和一九年三月二日以来今日に至るまで全然賃料の支払をせずに本件土地を占拠使用して不信行為の限りを尽してきたものであるから、被控訴人の行為は甚しく信義誠実に反し、これに対し法の保護を与うべき理由はない。

(三) よつて被控訴人は控訴人の契約解除によつて本件土地を原状に復せしめる義務があるので、本訴請求に及んだ。と述べ、

請求原因第一に対する被控訴人の抗弁のうち、本件土地が農地であることを否認する。本件土地は宅地である。すなわち、

(一)  訴外桜井芳雄の父選は、二男芳雄を将来分家させるために、本件土地を含む二三六三番の一の土地二九九坪、及びその隣接地(二三六三番の三の土地、二三六八番の一の土地、同番の二の土地等)を買受け、そして本件土地中の南の部分に桜井選が大正一四年四月末頃木造平家建倉庫一棟建坪約二一坪を建ててこれを訴外丸三運送店に賃貸し、同時に本件土地の東南側に隣接する前記二三六八番の二の土地上に現在川又ウラ(君勇料理店)が居住する家屋を建て、次いで昭和元年頃本件土地の北側に隣接する二三六三番の三の土地上に現在細川武二外一名が居住する家屋を建て、更にその後本件土地を含む二三六三番の一の土地のうち本件土地を除く一二八坪九合の土地上に、現在佐藤マツノが居住する家屋及び行木キンが居住する家屋を建築した。ところが本件土地上に建てた丸三運送店に貸していた倉庫は昭和六年頃台風のため倒壊したので、その跡地をしばらくそのまま放置しておいたが、土地の管理が十分でなかつたため荒地となり勝ちであつたところ、昭和七年頃被控訴人が右跡地及び空閑地(即ち本件土地)を生花等の植栽に使用させてくれと申出たので、桜井選は本件土地を管理させる意味で、畑地並の僅少な地代で、芳雄が分家する際は直ちに返還するとの約束のもとに一時的に賃貸した。

然るに芳雄が海軍現役兵として服務中、昭和八年一月一九日兄敏が死亡したため芳雄は分家する必要がなくなり、その後芳雄は一旦帰還したが昭和一五年一一月五日大東亜戦に応召し、昭和一八年七月まで服務したので、被控訴人に対する本件土地の一時賃貸がそのままずるずる継続して来たのである。

(二)  以上のような次第で、本件土地の周囲の隣接地には当時からいずれも家屋が建つており、本件土地を含む二三六三番の一の土地二九九坪上にも、その東南部及び西南部には前記の如く佐藤マツノ及び行木キンが現住する家屋が建つており、右両家屋の敷地と本件土地の間には巾約四尺の通路があるが、これは右両家屋へ通じるための私道であつて、右両家の敷地と本件土地を切り離すものではなく、本件土地を含めて同一地番の一筆の宅地を構成するものである。

(三)  それ故所轄税務署は昭和一四年一一月三〇日に本件土地を含めた右二三六三番の一の土地二九九坪の地目を職権によつて宅地に変更し、以来氏家町役場においても土地台帳に宅地と登載し、課税上は宅地として取扱われており、而して昭和一九年三月二日控訴人が桜井芳雄からこれを買受けるに当つて、登記簿上も地目を宅地に変更した上、控訴人に移転登記がなされたもので、控訴人は本件土地を買受以来昭和二四年度迄は宅地としての地租を、昭和二五年度以降は宅地としての固定資産税を支払つている次第で、昭和二二年に発足した氏家町農業委員会も、現在まで本件土地を宅地として取扱つているのであつて、畑地と認定したことはない。

(四)  なお被控訴人は本件土地を借受け以来、地上に生花等を植栽しているのであるが、被控訴人も自認している如く、昭和一九年から昭和二七年までは家庭用菜園として使用しているもので、農地法施行令(昭和二七年一〇月二一日施行)第一条第二項第二号において初めて「耕作の事業が草花等の栽培でその経営が集約的に行われるものであること」と規定して、これを農地として取扱うことになつたのであるが、それ以前、控訴人が本件土地を買受けた昭和一九年三月二日当時においては、所謂花畑を農地と認めた規定はなかつたのである。

従つて本件土地は宅地であつて農地ではないから、これが農地であることを前提とする被控訴人の抗弁は失当である。と述べ、

請求原因第二に対する被控訴人の抗弁(イ)の本件土地が農地であるとの点は前記理由により否認し、(ロ)の抗弁を否認し、控訴人主張の地代は近隣の地代と比較して当初坪当り年六円二銭と計上し、その後地代家賃統制令施行後は、本件土地は同令の適用はないが、一応之に準拠して計上した額で適正相当な地代額であり、仮りに請求金額が相当額を超過するとしても解除前の催告は相当額の範囲内で有効である。(ハ)の抗弁については、被控訴人が被控訴人主張の日時に地代として二、〇一〇円を桜井芳雄宛供託した事実を認めてその余の事実は否認し、被控訴人の供託は控訴人に対し何等弁済の効力を生ずるものでなく、桜井芳雄は本件地代債権を受領する権限がないので、受領権を控訴人に譲渡することはできない。桜井芳雄は控訴人に対し譲渡の趣旨で供託通知書を控訴人に交付したのではなく、控訴人が自己に供託のないことを証するため証拠書類として借用したにすぎず、控訴人は被控訴人主張の如き利益を受けているものではない。又信義誠実に反するとの被控訴人の主張について、控訴人は前記の如く催告前自から又は人を介して地代の支払方を交渉したが支払をしないので止むを得ず前記催告及び条件付解除通知をしたもので、信義誠実に反するのは一〇年以上に亘つて全然地代を支払わない被控訴人側にある。と述べ、

再抗弁として、

仮りに本件土地が農地であるとしても、農地調整法の施行後は、被控訴人と桜井芳雄との本件賃貸借契約の設定については、所轄知事の許可又は農業委員会の承認を必要とするところ、未だ右許可又は承認を経ていないから右賃貸借は無効であり、これをもつて本件土地の所有権を取得した控訴人に対抗することができない。と述べ、なお原判決別紙第二図記載の植物のうち(1) 水仙千本、(2) チユーリツプ百球、(12)ビンカ二十本、(13)アカパンサス二十本は一年生の植物であるため既に滅失したので収去を求める必要がなくなつたから、原審における請求のうち右の部分を撤回し請求を減縮する。又原審における控訴人の再抗弁は撤回する。と述べた。

被控訴代理人は、

請求原因第一の(一)の事実のうち、控訴人が本件土地を現に所有していることは認める。同(二)の(イ)の事実のうち、被控訴人が本件土地(但し賃借坪数は争う)を訴外桜井選から控訴人主張の条件(但し地代の額は争う)で賃借しこれを占有して生花等を植栽して使用してきたことは認め、その余の事実は否認する。同(二)の(ロ)及び同(三)の事実は否認する。

請求原因第二の(一)の事実のうち、控訴人から控訴人主張通りの賃料支払の催告及び条件付解除通知並びに解除による明渡の通知のあつたことは認め、その余の事実は否認する。同(二)及び(三)の事実は否認する。と述べ、

請求原因第一に対する抗弁として、

被控訴人は昭和一〇年中訴外桜井選から本件土地(畑地五畝一〇歩)を小作料年一二円、一代小作の約で賃借して引渡を受け、爾来これを耕作し、主として被控訴人の生業である生花商の業務に供給するため花畑として植木及び生花を植栽し肥培管理を施して現在に及んでおり(但し昭和一九年以降昭和二七年頃までは戦中及び戦後の社会状況から花畑を中止し家庭菜園に利用)、本件土地は控訴人が本件土地取得当時適用される農地調整法にいう農地であるから、同法第八条によつて農地の賃貸借は登記がなくも引渡があれば爾後その農地の所有権を取得した者に対しその効力を生ずることになり、被控訴人の農地である本件土地に対する賃貸借は当然新所有者である控訴人に承継されることになるので、被控訴人は右賃貸借をもつて控訴人に対抗することができる。と述べ、

請求原因第二に対する抗弁として、

(イ)  本件土地は控訴人主張の契約解除当時適用される農地法にいう農地であるから、同法第二〇条によつて控訴人には解除権は発生しない。

(ロ)  控訴人主張の地代支払の催告は、その請求額八三、四三二円が計算の根拠を欠き(昭和二〇年以降昭和二四年迄の地代は単に近隣の地代と比較して勝手に算出したもので明らかに不当であり、昭和二五年以降は地代家賃統制令に基く統制賃料に準拠して算出したと主張しているが、統制賃料そのものも自動的に従前の契約賃料を改定するものでなく、賃貸人より値上の請求があつて始めて賃料改定の効力を生ずるものであり、控訴人の算出は不当である)、訴外桜井選との契約賃料(小作料)は年一二円で、これはそのまま控訴人に承継されるので、昭和二〇年度以降昭和三三年度までの賃料は合計一六八円にすぎないから、控訴人の催告額は甚しく過大であつて催告としての効力なく、従つて控訴人主張の賃貸借契約解除は効力を生じない。

(ハ)  被控訴人は控訴人の地代支払の催告に応じて、昭和三四年二月二日宇都宮地方法務局矢板出張所に地代二、〇一〇円を供託して、控訴人に(但し相手方を桜井芳雄と指定して)弁済しているので、控訴人主張の契約解除は効力を生じない。もつとも右供託弁済は控訴人の催告によつて支払日と指定された日より六日後れたが、その理由は被控訴人は控訴人が本件土地の所有者であることを知らずまたその賃料が少額であつたのでこれを放任していたところ、控訴人から突如しかも法外な請求を受けたので、被控訴人は如何にすべきか思案したためであり、右事情で僅かに期日に後れた被控訴人に対して解除権を行使することは権利の乱用であり、かかる解除に保護を与えることは信義誠実の原則に反する。又提供によらず直接供託弁済をなしたのも、地代額が彼我の間において甚しく差異があり、現実の提供をなしても控訴人がこれを受領しないことは事前において明白であるから直接供託弁済をなしたものであり、又供託の相手方を控訴人でなく桜井芳雄にしたのは被控訴人の誤りであるが、桜井芳雄は供託の通知を受けるや自己が受領の権利者でないとして受領の権限を譲渡する趣旨で供託通知書を直ちに控訴人に交付したので、実質的権利者である控訴人は供託物還付の請求をなし得ることになり、控訴人は供託金額に担当する利益を得ているので、民法第四七九条によつて被控訴人が弁済受領の権限のない桜井芳雄になした供託弁済は控訴人に対する弁済として効力を生ずる。以上の理由によつて、被控訴人は控訴人の催告に応じて本件土地の資料の弁済をなしたことに帰し、控訴人主張の契約解除の意思表示はその効力を生じない。と述べ、

なお被控訴人の抗弁に対する控訴人の答弁中、本件土地が宅地であるとの控訴人の主張に対し、

本件土地を含む二三六三番の一の二九九坪の土地が一筆の土地として現在公簿上宅地に地目変更されていること、及び被控訴人が、本件土地を借受け以来草花等を植栽して来たことは認めるが、その余の事実はいずれも争う。

農地調整法第二条に農地というのは、耕作の目的に供せられる土地であつて、或る土地が農地であるか否かは、その土地につき労資が加えられ肥培管理を行つて作物を栽培する事実があるか否かによつて決定されるものであり、換言すれば土地使用の客観的状態により判断さるべきで、土地台帳等に記載されている地目如何によつて左右されるものでなく、その土地の附近に建物が存在することによつて何等影響されるものではない。又栽培される作物が米麦でなく草花であつても差支えないことは農地法施行令第一条第一項第二号により明らかであり、更に土地の耕作者が零細農であり、或は兼農であり、或は農業協同組合に加入していないとしても、その土地が農地であることに何等影響しない。農地調整法第四条第二項第三号に規定された三反歩の保有基準は農地買受に関する制限であつて、農地を決定することには関係がない。と述べ、

控訴人の再抗弁事実を否認し、

被控訴人が本件土地を耕作の目的で借受けたのは昭和一〇年で、当時は農地調整法は施行されておらず、昭和一三年に至つて右法律が施行された当時においても知事の許可及び農地委員会の承認などは賃貸借の要件とはされておらず、農地の賃貸借はその登記なきも農地の引渡があれば爾後その農地につき物権を取得した者に対抗し得る旨が定められていたに過ぎないのであつて、その後農地調整法の改正により農地に関する売買賃貸借等につき許可を要することになつたが、それは耕作者の地位の安定等将来の農地関係の調整をなすことを目的とするものであつて、従つて右法律施行前に既になされた農地に関する売買賃貸借等につき遡及してその許可を必要とするものではない。と述べた。

証拠として控訴代理人は甲第一第二号証、同第三第四号証の各一・二、同第五乃至第八号証、同第九号証の一・二、同第一〇号証、同第一一号証の一・二、同第一二乃至第一五号証を提出し、原審の証人小野崎良作、同中村武達、同大塚喜平、当審の証人矢沢高佳、原審及び当審の証人桜井芳雄、同佐藤マツノの各証言、及び原審の被控訴人本人、原審及び当審の控訴人本人の各尋問の結果、並びに当審の検証の結果を援用し、乙号各証の成立を認め、乙第三号証の一・二を利益に援用し、被控訴代理人は乙第一号証の一・二、同第二号証、同第三号証の一・二、同第四号証を提出し、原審の証人古沢三平、同佐々木寅の各証言、原審及び当審の被控訴人本人尋問の結果、並びに原審の検証の結果を援用し、甲第一号証は公証部分のみ成立を認めその余の部分は不知、同第七第八号証は不知、同第一二号証は係争土地として表示された点線の部分は不知その余の部分は成立を認め、その余の甲号各証の成立を認めると述べた。

理由

(一)  控訴人が本件土地を含む栃木県塩谷郡氏家町大字氏家二三六三番の一地目登記簿上宅地二九九坪について現に所有権を有すること、(但し後記認定の如く、本件土地は控訴人が譲渡を受けた昭和一九年三月二日当時農地であつたのであるから、当時施行されていた臨時農地等管理令第五条又は第七条の二による地方長官の許可、或いは農地調整法第五条による市町村農地委員会への通知等が問題になるのであるが、これらの規定はいずれも農地の所有権譲渡の有効要件を定めたものではないから、結局本件土地が控訴人の所有に属することの妨げとなるものではない。)及び被控訴人が本件土地を占有して右地上に控訴人主張の別紙第二図面記載の如き草花等を植栽していることは当事者間に争がない。

(二)  そこで被控訴人が本件土地を占有するに至つた事情並びに本件土地の使用状況について検討するに、成立に争のない甲第二号証、同第五号証、同第一五号証、乙第三号証の二、公証部分の成立に争いなくその余の部分は原審の証人桜井芳雄及び原審の控訴人本人尋問の結果により成立が認められる甲第一号証、原審の証人小野崎良作、同中村武達、同佐々木寅、同古沢三平、当審の証人矢沢高佳、原審及び当審の証人桜井芳雄、同佐藤マツノの各証言、原審及び当審の控訴人、被控訴人各本人尋問の結果、並びに原審及び当審の検証の結果を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  二三六三番の一の土地一反一畝一七歩はもと登記簿上の地目は田であり、その後畑に地目が変更されたものであるが、大正一四年頃訴外桜井選が同訴外人の二男芳雄を将来分家させるため、未成年の芳雄に代つて当時の所有者であつた宍戸某から、右土地をこれに接続する二三六八番の二並びに同番の一の土地とともに買受け、その後昭和六年一月三一日右二三六三番の一の土地を二三六三番の一畑九畝二九歩と同番の三畑一畝一八歩の土地に分筆した。

(2)  桜井芳雄がこれらの土地を買受けた後、桜井選は大正一五年頃から昭和初期にかけて、二三六八番の二の土地上に訴外川又ウラ(君勇料理店)現在の家屋を、二三六三番の三の土地上に訴外細川武二、同吉沢久子現在の家屋を建築するとともに、二三六三番の一の土地上にも、その南西部に一部本件土地に跨つて倉庫を建築しこれを訴外丸三運送に賃貸し使用せしめていたが、右倉庫は昭和六年頃台風の為倒壊し、二三六三番の一の土地全部が空地となつたので、桜井選は未成年であつた芳雄に代つて昭和七年頃、右土地のうち北側三畝歩を訴外古沢三平に、その余の約七畝歩を被控訴人にそれぞれ畑として耕作の為期間の定めなく(賃料不明)賃貸し、同人等はこれを開墾して蔬菜類を栽培したが、間もなく古沢は耕地を返還したので、二三六三番の一の土地全部を改めて被控訴人が借受けることになつた。然しその後間もなく桜井選は右土地の南西部に家屋を建築するため被控訴人からそれに必要な敷地の明渡を受け、訴外佐藤マツノ及び同行木キン現在の二棟の家屋を建築し、右家屋と被控訴人賃借部分との間に巾数尺の通路を設けた。従つてその後は被控訴人の賃借部分は本件土地の範囲に限定された。なお桜井選は被控訴人から畑小作料として本件土地を徴収していたが、数次に亘つて値上げされ、昭和一八年末当時の賃料は年一二円であつた。

(3)  被控訴人は本件土地借受当時新聞社に勤務し、その傍ら本件土地を畑として耕作し、趣味として花を植栽していたが、次第に園芸に興味を持ち本件土地を全面的に花畑に転換し生花商を営むに至つた。

このようにして本件土地には被控訴人が生花商の営業の為必要な種々の植物が栽培され、被控訴人はこれを肥培管理してきたが、被控訴人は昭和一九年二月頃徴用されて北海道へ行き、戦争の激化に伴い本件土地も被控訴人の家族が蔬菜畑に転換して蔬菜類を作るようになり、終戦後も食糧難の為本件土地は引続き蔬菜畑として利用され、昭和二七年頃食糧事情が安定するに至つて被控訴人は生花商を再開し本件土地を花畑として利用するようになつた。

(4)  その間昭和一四年一一月三〇日に本件土地を含む二三六三番の一の土地二九九坪は所轄税務署の職権により地目を宅地に変更されてその旨土地台帳に記載され、以来右土地は課税上宅地として取扱われ、その後昭和一九年三月二日訴外桜井芳雄は右二三六三番の一、と同番の三、及び前記二三六八番の二、並びに同番の一の土地を、之等地上に在る前記四棟の建物と共に控訴人に売渡し、その際桜井芳雄は右二三六三番の一の土地を宅地に地目変更の上控訴人に所有権移転登記をなし、控訴人は右買受以来昭和二四年度迄は宅地としての地租を、昭和二五年度から以後は宅地としての固定資産税を納めて来た。

以上の事実が認められ、当時の証人桜井芳雄の証言のうち右認定に牴触する部分は措信し難く、ほかに右認定を動かすに足る証拠はない。

そうすると被控訴人は昭和七年頃より桜井芳雄から本件土地を期間の定めなく賃借し、この賃借権に基いて本件土地を占有して来たことが明かである。

(三)  控訴人は、右賃貸借は昭和一八年一二月中被控訴人が一年分の地代を延滞したので桜井芳雄の代理人桜井選において解除したのみならず、被控訴人も合意解約を認め、本件土地を明渡すべきことを承認した旨主張するけれども、当審の証人桜井芳雄の証言によれば、桜井選は被控訴人が地代を延滞するので本件土地を返還するよう求めたこともあつたが、被控訴人が応じないので結局従前通り本件土地を使用せしめていたことが認められ、桜井選が被控訴人に対し適法な催告期間を定めて地代の支払を催告し契約解除の意思表示をなしたこと、及び被控訴人との間に契約の合意解約が成立したことを認めるに足る証拠はない。この点につき原審及び当審の本人尋問において控訴人は、桜井選から被控訴人との契約は解除されたといわれたので本件土地を買受けた旨供述しているが、これは伝聞であつて裏付けとなる何等の証拠もないので、これをもつて契約解除を認めることはできない。そうすると、本件土地は後に述べるように農地と認められるのであるが、農地調整法に定める解約又は解除に関する制限に言及するまでもなく控訴人の右主張は採用できない。

(四)  次に控訴人は本件土地は元来宅地であり、桜井芳雄は当初から本件土地を被控訴人に対し宅地として賃貸したものであつて、被控訴人と桜井芳雄との右賃貸借については登記がなく、その他被控訴人は本件土地の所有権を承継した控訴人に対抗する何等の権原も有しないので、昭和一九年三月二日以降被控訴人は本件土地を適法に占有する権限がないと主張するのに対し、被控訴人は、当初から農地として借受けその引渡を受けて耕作しているもので、本件土地は控訴人が本件土地取得当時適用される農地調整法にいう農地であるから、同法第八条によつて控訴人に対し右賃貸借をもつて対抗することができる旨主張する。

そこで本件土地が果して農地調整法にいう「農地」に該当するかについて判断すると、農地調整法は、被控訴人が本件土地を借受けた後の昭和一三年四月二日に制定され、同年八月一日から施行されたのであるが、同法第二条第一項によれば、「本法ニ於テ農地トハ耕作ヲ目的トスル土地ヲ謂フ」と規定され(昭和二〇年一二月二九日に「農地トハ耕作ノ目的ニ供セラレル土地ヲ謂フ」と改正)ておるのであつて、耕作者の地位の安定と農業生産力の維持増進を図る農地調整法の目的(同法第一条)に鑑みれば、「耕作ヲ目的トスル土地」であるか否かは、その現況に即し一定の土地につき労資を投下し肥培管理を行つて作物を栽培している客観的状態によつて決すべきもので、土地所有者の主観的賃貸目的や土地台帳等に記載されている地目の如何ん、又は附近に住家が多く立ち並んでいるような状況によつて左右されるものではないと解する。

これを本件土地についてみるに、前記認定事実によれば、本件土地は昭和の初期頃一部本件土地に跨つて同地番内の土地に倉庫が建築されたことがあるが、その後昭和六年頃右倉庫が倒壊してからは畑として訴外古沢三平及び被控訴人が耕作して蔬菜類を栽培し、その後被控訴人が草花を栽培し、絶えず肥培管理を行つて草花を採取しており、昭和一九年二月頃被控訴人の徴用戦争の激化等の事態に伴い、被控訴人の家族がこれを再び蔬菜畑として耕作していたことが認められるから、以上本件土地の使用状況、耕作の内容等から見れば本件土地は農地調整法にいう「農地」と認むべきである。成程前記認定事実によれば、二三六三番の一の土地二九九坪は昭和一四年一一月三〇日以来土地台帳上地目宅地として登載されており、本件土地は右土地の一部(北側一六〇坪一合)であつて、右土地の残余の部分(一三八坪九合)は訴外佐藤マツノ及び行木キン現住の二棟の家屋の敷地、及び右敷地と本件土地の間にある巾数尺の通路になつていることが認められるが、右二三六三番の一の土地は昭和七年頃右家屋が建築されて以来、事実上宅地として使用される部分と耕作の目的とされる本件土地の部分とに区分されて各別に使用されてきたのであつて、右家屋の居住者と本件土地の耕作者は始めから異なつており、本件土地の耕作は右宅地の庭先に鑑賞用の草花を植栽するのとは全く状況を異にしている。

従つて本件土地は昭和七年頃から控訴人が右所有権を取得した昭和一九年三月二日当時においても農地調整法にいう農地であり、そして被控訴人は訴外桜井芳雄より本件土地の引渡を受けて耕作して来たものであるから、被控訴人は同法第八条により控訴人に対し桜井芳雄との賃貸借をもつて対抗することができるわけであり、従つて被控訴人の抗弁は理由がある。

控訴人は再抗弁として、仮りに本件土地が農地であるとしても、農地調整法の施行後は、被控訴人と桜井芳雄との本件賃貸借契約の設定については所轄知事の許可又は農業委員会の承認を必要とするところ、未だ右許可又は承認を経ていないから右賃貸借は無効であり、これをもつて本件土地の所有権を取得した控訴人に対抗することができないと主張するけれども、農地の賃貸借契約の設定については、昭和二〇年法律第六四号(昭和二一年二月一日施行)により改正された農地調整法第五条に始めて「地方長官又ハ市町村長ノ認可ヲ受クルニ非ザレバ其ノ効力ヲ生ゼズ」と規定されたのであつて、控訴人の本件土地所有権取得当時にはかかる行政庁の認可を要する旨の規定は存しなかつたばかりか、右昭和二〇年法律第六四号には同法施行の際現存する農地の賃貸借についても遡及的に右改正規定を適用する旨の規定は存しないので、法の不遡及の原則により、当時既に現存していた本件賃貸借契約については右認可を必要とするものではない。従つて控訴人の再抗弁は理由がない。

(五)  次に控訴人は被控訴人が賃料を支払わないので、昭和三四年一月一九日附の書面による催告並びに条件付解除の意思表示によつて本件賃貸借契約は解除されたと主張するので、この点について検討するに、控訴人が被控訴人に対し昭和三四年一月一九日附書面によつて該書面到着の翌日かち七日内に昭和二〇年九月一日以降昭和三三年一二月三一日迄の地代合計八三、四三二円を支拡うよう催告し、若しその支払をしないときは被控訴人との賃貸借を解除するという条件付解除の通知をなし、右書面が同日被控訴人に到達したこと、及び被控訴人が右期日までに右地代の支払をしなかつたことは当事者間に争がない。

これについて被控訴人は、本件土地は控訴人主張の契約解除当時適用される農地法にいう農地であるから、同法第二〇条によつて控訴人には解除権は発生しない旨主張するので按ずるに、控訴人主張の契約解除の日たる昭和三四年一月二六日当時適用される農地法第二条によれば、「この法律で農地とは耕作の目的に供される土地をいう」と規定され、この定義は前掲農地調整法第二条第一項における農地の定義と同意義であり、法律制定の目的(農地法第一条、農地調整法第一条)も同じくするから、農地法にいう農地であるか否かは前に説明したところと同一の基準によつて判断すべきものである。ところで前記認定の事実によれば、被控訴人は昭和一九年二月頃以降終戦後も食糧難のため本件土地を引続き蔬菜畑として利用して来たが、昭和二七年頃生花商を再開し、再び本件土地を花畑として草花を植栽し、肥培管理をしてきたことが認められるから、これを前項における認定と総合すれば、本件土地は控訴人主張の右契約解除当時においても農地法にいう農地であるというべきである。

而して農地法第二〇条によれば、農地の賃貸借の当事者は、省令で定めるところにより都道府県知事の許可を受けなければ賃貸借の解除をしてはならない(同条第一項)のであつて、右許可を受けないでした行為はその効力を生じない(同条第五項)ところ、控訴人が前記契約の解除に際し所轄栃木県知事の許可を受けたことについては何等主張立証がないから、被控訴人のその余の主張につき判断するまでもなく、控訴人主張の右契約解除は効力を生じないというべきである。

(六)  次に請求原因第二(二)において摘示した控訴人の主張は、前述の契約解除と別個の解除原因を主張するものであるか否か必ずしも明確ではないが、控訴(原告)代理人が原審第三回口頭弁論期日において陳述した昭和三四年七月二日付準備書面中の原告の主張第一の四項、当審第一回口頭弁論期日において陳述した第二準備書面(二)項及び第三準備書面の記載のほか弁論の全趣旨に徴すれば、控訴人は、被控訴人において控訴人が本件土地を所有していることを知つているにも拘らず、控訴人に対して未だ桜井芳雄との間に賃貸借が存続していることを主張し、或は自己に所有権ありと主張し、控訴人が所有権を取得した昭和一九年三月二日以来永年に亘つて全然賃料の支払をせず、控訴人の催告に対しても催告期間満了後に至つて桜井芳雄宛に被控訴人が一方的に認定した賃料を供託する等、賃借人として著しく信義に反する行為をなしているから、前記契約解除が不適法であれば、本訴において本件賃貸借契約を解除する旨を予備的請求原因として主張しているものと解するのが相当である。そこで裁判上農地の賃貸借契約を解除する場合においても、農地法第二〇条による知事の許可を受けることを要するか否かについて検討するに、農地の賃貸借契約の解除解約等については、都道府県知事が農地に関する専門的な行政機関である都道府県農業会議の意見をきいた上(同条第三項)許可した場合に限り有効であり(同条第一項第五項)、且つ右許可は賃借人が信義に反した行為をした場合その他同条第二項に列挙された事例に該当する場合にのみ与えることができると規定され、耕作者の農地に関する権利の保護を期しているのであるが、知事の許可はその自由な裁量に委ねられているのではなく、法規裁量として同条第二項に掲げる事由がある場合には解除の許可を与えるべきであつて、不許可の行政処分に対しては訴訟上その当否を争うことができるから、最終的には裁判所の判断に委ねられることになるわけであるが、知事の許可不許可処分がなされるまでに相当の期間を要しその間処分が留保されるような場合に(殊に本件土地の如く農業委員会が未だ農地として認定していないような土地については、同条第二項各号に該当するか否かの前提として、右土地が農地として農地法の適用を受けるか否かの判断が先ず必要となり、これが為現地調査その他の調査に相当の日時を要することが予想される)救済手段がないことは不合理であり、他方同条第一項但書により農事調停につき例外的に調停裁判所の裁量に委ねられていることを考えると、裁判上解除権を行使する場合でも常に必ず知事の許可を要するとなすことは不当な耕作者の保護が必要以上に厚くなり著しく公平を失する結果を生ずることも予想される。従つて、裁判上農地の賃貸借契約を解除する場合にはすべて知事の許可を要しないとする見解(農地調整法第九条の農業委員会の承認につき大阪高裁昭和三五年七月一三日判決、高裁民事判例集四〇一頁)は、当裁判所としてはそのまま是認し難いところであるが、かかる場合知事の許可がないとして解除を無効とすることが賃借人の著しい不信行為に比しかえつて公平を失すると認められるときに限り、知事の許可を要しないで裁判上解除権を行使することができるものと解する。

そこで本件土地の賃借人たる被控訴人に信義した行為が存するか及びこの場合知事の許可を要せずして契約を解除できる場合に該当するかについて判断するに、成立に争のない甲第三第四号証の各一・二、同第九号証の一・二、同第一〇号証、乙第一号証の一・二、同第二号証、原審の証人小野崎良平、同中村武達、原審及び当審の証人桜井芳雄の各証言、並びに原審及び当審の控訴人、被控訴人各本人尋問の結果を総合すると、被控訴人は桜井選を通じ控訴人が本件土地を買受けたことを知り、又控訴人の買受後控訴人から本件土地の明渡を求められたこともあつたので、控訴人が本件土地の所有者であることを知つていたにも拘らず、一〇数年以上に亘つて地代の支払をなさず(殊に控訴人は買受と同時に所有権移転登記を了しているのであるから、容易に所有者を確認し得た筈であつて、所有者が判然しなかつた為一〇数年に亘つて供託もせず地代の支払を怠つていたという被控訴人の弁解は納得し難い)、昭和三三年一〇月頃から控訴人の代理人小野崎良作より再三地代の請求を受けたがこれに応ぜず、昭和三四年一月一九日書面によつて書面到着の翌日から七日以内に昭和二〇年九月一日以降昭和三三年一二月三一日迄の地代合計八三、四三二円を支払うよう、若しその支払をしないときは被控訴人との賃貸借を解除する旨の条件付解除通知を控訴人から受けたにも拘らず(控訴人主張の地代が適正であるか否かはとにかくとして)、催告期間内に何等の提供も交渉もしなかつたばかりか、右期間経過後に至つて右期間内の地代を二、〇一〇円と一方的に算出し、しかも既に所有権を全然主張せず地代の請求をすることのない桜井芳雄に対し、右金員を弁済の為現実に提供したるもこれが受領を拒んでいるとの理由で桜井芳雄宛に供託し(右供託は控訴人に対しては何等の権利を取得せしめるものでないからこれをもつて本件賃料の弁済の効力を認めることはできない)、本訴においても控訴人が本件土地の所有者であることを認めながら未だ賃借人としての義務を何等履行しようとせず、また本件土地の明渡をめぐつて紛糾するや、いち早く本件土地及び佐藤マツノ行木キン居住の家屋に至る控訴人所有の通路の入口二ケ所に「所有地に付通抜禁止、植木」との標木を設ける等の所為をなしたことが認められ、原審及び当審の被控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、ほかに右認定を動かすに足る証拠はない。而して以上の認定事実によれば、被控訴人は賃借人として著しい不信行為をなしたものというべきである。又成立に争のない乙第三号証の二、当審の証人矢沢高佳の証言並びに原審及び当審の被控訴人本人尋問の結果を総合すると、被控訴人は本件土地において草花を栽培するほか、氏家町大野において栃木県との間の小作契約により、六畝歩位の畑を借受け耕作しているのみで、氏家町の農業協同組合にも加入していないこと、本件土地は氏家町農業委員会においてその現況を知つていながら現在に至るも農地としての認定取扱を行なつていないこと等が認められるので、この場合控訴人に本件土地を農地として申請し、その認定を受けた上右契約解除につき県知事の許可を受けることを要求するのは、被控訴人の著しき不信行為に対し控訴人の権利救済が容易になし難い結果となり、更に本件土地の耕作は草花の栽培であつて主要食糧の生産ではないから食糧供出の対象とならず、従つて耕作者の地位の安定及び農業生産力の増進という農地法の目的に照してもこの場合に耕作者たる被控訴人の保護を一層徹底すべき理由もないので、以上諸般の事情を総合考慮するときは、裁判上本件土地の賃貸借契約を解除する場合には所轄栃木県知事の許可を要しないというべきである。

以上のように被控訴人の行為は本件賃貸借契約を継続し難い程度の著しく信義に反するものであり、そして本件のような場合には、控訴人は農地法第二〇条第二項第一号により、且つ県知事の許可を要せずして右賃貸借契約を裁判上解除することができるというべきであるから、本件賃貸借は控訴人によつて裁判上右契約解除の主張がなされたと認められる昭和三五年六月一五日(当審第一回口頭弁論期日)限り終了したものというべく、被控訴人は控訴人に対し本件土地を右地上に植栽してある別紙第二図面記載の植物を収去して明渡すべき義務があるといわなければならない。

(七)  以上の次第であるから、控訴人の本訴請求は全部正当として認容すべきであるに拘らず、右請求を棄却した原判決は不当であるから、民事訴訟法第三八六条によりこれを取消し、控訴人の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担について同法第九六条第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石沢三千雄 橋本攻 竹田稔)

地代一覧表

一、昭和二十年九月以降同年十二月迄四ケ月分 計三二一円

一、同二十一年分 計九六四円

一、同二十二年分 計九六四円

一、同二十三年分 計九六四円

一、同二十四年分 計九六四円

(以上近隣の地代と比較して年坪当り金六円二銭)

一、同二十五年一月以降同年八月迄八ケ月分(地代家賃統制令により年坪当り十二円四銭) 計一、二八八円

一、同年九月以降同年十二月迄四ケ月分(前項同様) 計九八〇円

一、同二十六年一月以降同年九月迄九ケ月分(前同様但し月坪当り一円五十銭) 計二、二〇五円

一、同年十月以降同年十二月迄三ケ月分(前同様但し月坪当り三円三〇銭) 計一、五八五円

一、同二十七年(前同様) 計六、三四〇円

一、同二十八年(前同様但し月坪当り金四円五十銭) 計八、六四五円

一、同二十九年(前同様) 計八、六四五円

一、同三十年(前同様但し月坪当り六円) 計一一、五二七円

一、同三十一年(前同様) 計一一、五二七円

一、同三十二年(前同様但し月坪当り七円五十銭) 計一四、四〇九円

一、同三十三年(前同様) 計一四、四〇九円

合計 八万五千七百三十七円

催告の地代は右八万五千七百三十七円の内金八万三千四百三十二円

第一図面、第二図面<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例